乳癌の母を看取るまでの話②
この前のお話
『乳癌の母を看取るまでの話①』
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手術をすることが決まった母。
遠方にいた姉や兄も駆けつけて、私も当時彼氏だった今の夫とお見舞いに行きました。
手術を終えた母は、
元々夢だったケアマネジャーになるためにまた頑張り始め、
私は今の夫と結婚し、実家で母を見守ることにしました。
手術の後、悔いを残さず生きようという母の勢いはすごかったです。
その勢いに暗くなっていた気持ちも薄れていって、家族旅行に行ったり、私は長男を授かったりと平穏な日々が過ぎていきました。
すっかり油断していました。
長男が1歳も半ば頃。
体調が悪い日が増えてきた母。
胸水が溜まって痛かったようで、猫背になってうずくまるような姿勢が多くなり、自室で休む時間が増えたり。
仕事を休んだり、早退することが増えてきました。
「胸水を抜いたら少しはラクになるかな?」
スクショしてあった母からのLINEにそう書いてあった時期です。
もう子供もいる私に、どうしても誕生日プレゼントを買いたいと大型ショッピングセンターに行った時は、車椅子を借りて、父に押してもらっての移動でした。
「皆でディズニー行こうよ!」
毎年恒例の家族旅行、母の体調が悪化する直前にそう提案してました。
予約もしました。
だけど母の64歳の誕生日の2日後、急遽病院へ行った母。
食欲のない母が心配で、たまには野菜たっぷりのスープを飲ませてあげよう!と作っていたのですが、それが完成する前に出かけていってしまいました。
そのまま入院。
この時、何か感じることがあったみたい。
「このまま入院なの?寂しい」と、1児の母にもなって甘えん坊なLINEをした記録が残っていました。
コロナの影響か忘れましたが、面会も禁止。
毎日忙しない母がいない家は、ちょっと不思議でした。
でもこの時は、悲しい気持ちよりも目の前の仕事と育児に追われ、自分のことを考えるので精一杯でした。
入院して1週間と3日後、母からLINE。
「私に何かあった時のこと伝えたいけど、早く伝えてもかたないかな?」
文章に少し違和感を感じつつ、打ち間違えかな?と特に気に留めず。
「早い分には困らないからいいと思うよ」と、冷静に返信していた私。
心はざわざわしてました。
そこから数日間、母からおかしなLINEや着信が続きます。
面会が禁止なのに、兄がお見舞いにきてくれたとか。
喉乾いたから仕事帰りにオロナミンC買ってきてとか。
不安になってきて電話をして、
「これから毎日電話しようよ」と伝えました。
話はできましたが、会話はほぼ成立しませんでした。
今思うと、痛み止めの麻薬の副作用だったんでしょうかね。
翌日仕事中に電話がきて、病院に呼ばれた父に着いていき、先生たちと話をすることになりました。
母が退院したいと言っているから、家族の意見を聞きたいという内容だったと思います。
母にも会えました。
でも別人のようにげっそりしていて、この状態で退院ということは、訪問診療や訪問看護で看取りだろうと直感しました。
(そういった関連の職場に転職していました)
ケアマネ見習いをしていた母が元気だった頃に作っていた人脈と、何かあった時は頼みたいという根回しを各所にしていたおかげで、退院が決定したらトントン拍子。
話し合いの4日後に退院となり、急でしたが、遠方の姉と兄も駆けつけることができました。
面会直後、兄に帰ってきてほしいという状況説明の電話をした時は、泣いてしまってうまく説明できませんでしたが、
「言いたいことはわかったよ。大丈夫だから。必ず帰る。」
と、今までで一番優しくて穏やかな声でそう言ってくれました。
その言葉に安心してもっと泣いてしまいました。
お昼に退院。
訪問の看護師さんから
「何か好きものを飲ませてあげましょうか」
と言われたとき、迷わずオロナミンCを渡しました。
お昼には声かけに反応があった母も、だんだんと息をしているだけのような状態に。
夜になり、家族で母のおむつを変えた直後のこと。
息をしてないことに気づきました。
すみません、今回で全て書き終えたかったのですが
思い出すのが苦しくなってきたので中断します。
続きます。


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